走れる、という日常は有難い
以前、300km走った月を振り返って、走るには4つの条件が必要だ、ということを書いた。
4つの条件とは、「走れる体」と「お金」と「時間」と「メンタル」です。
今日は改めてそれを痛感する一日でした。
身内の不幸は突然に
ずっと病気で入退院を繰り返していた、割と近い身内が、どうも、いよいよ危ない、という連絡が入ったのが今日のお昼前。
それから、病院に見舞いに行き、意識はあるものの、力なく横たわる姿を見て「ああ、いよいよ危ないかも」と、実感し、後は「意識のある間に」と遠くに住んでいる親類を連れ帰るため、迎えに行っていくれと頼まれ、往復9時間、車を運転して徳島に連れ帰り、日付も変わった今、ようやく家に戻ってきました。
今日は、ほぼ一日中、車の運転をしていました。明日も一日そうなるでしょう。
走っている場合じゃない
まさにバタバタの一日でした。
なので今日(正確には昨日)は走ることなんてできませんでした。連休の最終日も、今日と同様に、運転手や何やらで「走る」なんてことはできないと思います。
身内に不幸があると、文字通り「走っている場合」じゃない、という感じで、先の4つの条件からすると「時間」が無い、ということになるのでしょう。
4つの条件を満たすには
4つの条件、特に「時間」とか「メンタル」を満たすには、平穏で安定した日常が必須条件になると思う。
昔は変化に富んだ日々こそ充実した日々と考えていました。それはある側面では当てはまると考えています。
しかし、生活の根幹、私の場合「家族」とか趣味である「ジョギング」に関しては、恐ろしいぐらい変化の無い日々、天体の運行のごとき、規則的で普遍的な時の流れこそ、理想的な日々だと考えます。
そう考えると、最近の例でいうと「ドラゴンクエストウォークをしながら近所を走る」なんて、まるで無意味な行為をやってますが、そんな無意味なことに時間を費やせるということは、どれだけ幸せなのだろうか、改めて日常に感謝しようと思う一日でした。