憂鬱な気分とランニング
今日は雨。
徳島も本格的に梅雨のシーズンに入ったみたいです。
梅雨になったら、シャワーランについて書こうか、と思ってましたが、今日も引き続きやる気なしです。
雨だし、やる気ないし、小さくても、些細でも、動きたくない。
ちょっと鬱気味の雨の日は
今日は、ちょっと訳あって、自己嫌悪というのでしょうか、「俺って駄目だな~」とか「俺って、何やってるんだろう~」と自分を責める考えが頭を支配して、何もする気がおきません。
鬱に入るスイッチがある
鬱に入るスイッチが、私には何個かあるのですが、その内の一つが今日、押され、そこから鬱モードが入ったのです。
そのスイッチというのは、昔、ちょっと関わりがあり、イヤな思い出を残してそれっきり、という人がいて、その人に偶然ばったり会ったり、会って話をするでもないが、街中でお目にかかったりすると、例外なく、強烈な自己嫌悪に苛まれてしまいます。その人は輝いているのです。
それに引き換え私は・・・
その人と、今日、ある会合でお目にかかりました。話はしなかったし、私がそこにいたことも、向こうは気づいてないと思いますが・・・
皮肉過程理論
鬱に入ると「考えるな!考えるな!考えるな!考えるな!」と思うのですが、思えば思うほどドツボに入ります。
「嫌なことは考えない」と思えば思うほど、その嫌な事を考えてします。
こういうのを皮肉過程理論というらしい。
「シロクマの事を考えるな」と言われるとシロクマのことばかり考えてしまう、というやつです。
この理論は正しい。なぜなら、今日の私がそうなのだ。
それを乗り越える方法
調べてみるとそんな思考に陥っている場合の対処法は
- 「嫌なことかもしれないが、考えてもいい」とその事を考えることを禁止事項にしない。
- 別の事を考える(代替思考と言うらしい)
- 体を動かす
という感じです。
私はランナーなので、やはり3かな
やっぱり、まずは動こう
ブログ書いてたら、何か元気になってきたぞ。
本日のメニューは
このその場ダッシュ(1分間)は結構ききます。1分間、限界まで速く足踏みをするっていう、単純至極な運動なのですが、真剣にしたらうっすら汗をかいてしまいます。
なんか心なしかスッキリします。
それが何になるの?
何にもならねーヨ!
無駄を承知で、体をとにかく動かしてみたりする。
人は楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ
そして笑ってみる。
人は楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ!
という考え。
マラソンの終盤で辛い時、「辛い」と思うより、とにかく笑顔を作ってみる。それで脳がだまされて辛さではなく楽しく感じてしまう。
これ、私にも経験あります。よろしければ試してみてください。
自分が愛せる自分になれればいいのだが
今の自分でいる限り、その人を見かけるたびに心がざわめき、劣等感の沼に堕ちていく。
もっと、自分を高めないと・・・と思います。
その人には合わない時は20年近くお目にかからないのですが、最近は年1回ぐらいお目にかけます。
来年までには、何とかしたいと思います。
人間は幸せだから歌うのではない。歌うから幸せになるのだ。
by ウィリアム・ジェームズ
♪~ありのままの僕を責めないで
サエない駄目な奴だけど~♪
彩~Aja~の歌詞が胸に響きます。