24時間テレビは嫌いじゃない
今年も24時間テレビが始まりました。
毎年、「最初から最後まで、24時間視聴し続ける」
と、思うのですが、毎年、だいたい23時には、その挑戦は終了して寝てしまいます。
今年も、テレビはついているのですが、全く見ていません。
偽りでも「善」であればいい
私にとって24時間テレビは「なぜか乗れない祭り」というのが適していると思う。
24時間テレビを、「偽善だ」とか「製作費を寄付すればいいのに」とか揶揄する声があります。
24時間テレビに限らず、災害時に、芸能人の方が現地に赴いて、ボランティア活動をした際にも、同じような声が聞こえてきます。
その行為が、本当に売名の為に発したものかもしれない。「ボランティア」といいながら、バリバリ商売なのかもしれない。
しかし、それでも、売名だ!インチキだ!と叫ぶだけの行為より、形だけかもしれないボランティアの方が、よっぽど価値があると思っています。
偽りであっても善ならいいじゃない、と思う方なので、24時間テレビも同じように、それはそれで意味があるのだろう、と思っています。
祭りには乗ってみたい
嫌いじゃないし、それなりに話題にもなっている。この番組は毎年行われる祭りみたいなものだ。祭りなら一緒に盛り上がりたいと思うのだが、どうも乗りきれない。
観ていたら、番組一つ一つは感動するのだが、視聴し続けることができない。このての内容に対し持久力がないのかなぁ・・・
そして、今年も乗れずに終わりそうだ。
今、妻がチャンネルを変えてしまいました。これを期に今年の祭りは終わりそうです。
今日の練習
今日の結果はこれ
3分程度、立ち話をした時間、心拍が下がっています。
自分の感覚では、普通に苦でも楽でもない負荷で走ったつもりなのですが、心拍が上がっていません。
夏の疲れがたまってるのか、献血の影響が続いているのか、もう一つ満足のいく走りができません。
次のレースがいつになるか分からないぐらい先になりそうなので、焦らずコツコツやっていこうと思っています。